50代を目前にしてくると

自分の中で出来ることが増えてくる分、

 

今までやれなかったこと、やりたかったことに

頑張ろうとすることがあるようだ。

 

ただそれらを味合うには人生の旬があるようで、

今から巻き戻してもできないこともあるらしい。

 

こんなことは置き換えると「頑張る」という

日本語になるかもしれないが、

 

人生の折り返しには「楽しむ」をあえてすることが

大事なのかもしれないし、

 

経営の先輩方も口を酸っぱくして

いつも言ってくれていることだ。

 

やはり人生のことは人生の先輩でないと分からない。

経営のことは経営の先輩にしか分からない。

 

そんなことが分かる歳になってきたんだなと

しみじみ思う。

 

元々頑張ってきた人生だから、

頑張るなってちょっと寂しいけどね。

 

それでは。

平成19年の2月3日に会社の宅建業免許が降りたので

今日で18年目に入りました。

 

あと3年ほど経験を積めば20年間続くことになります。

 

今までの17年間は2011年の東日本大震災以降は

常に世の中が安定していない中で、

自分のキャリアを伸ばしてきました。

 

最初の事は普通のというか、賃貸不動産の仲介と管理を

ひたすらコツコツやってきて、

 

ただ同時に不動産情報はありふれたものになっていき、

不動産を探す人のリテラシーも上がったと思います。

 

その中でただ営業として人に尽くすには

それ一本で闘うには武器が弱く、

 

その中で少しずつ元々持っていた建築の知識を活かして

改修やリノベーションが増えていき、

今では空き家活用をきちんとしているという

実績もできました。

 

経営とはほかとの差別化との競争ですが

今ではきちんと弊社しかできないものがあります。

 

あとはもっと経営として安定した会社の器が

欲しいというところです。

 

「丸17年経営やってきました」って

最近は自信をもっていうことも増え、

今後もさらに実績とキャリアを詰めれば

不動産の仕事はやりがいも付くと思います。

 

そして今年はまだ公開できませんが

大きな会社の動きもあるので、

気を抜かずですが事業に邁進をしたいと思います。

 

今後とも引き続きよろしくお願い致します。

 

 

それでは

歳をとって思うのは働く経営者や

人の上に立つ人が後輩や後世を

育てたり引っ張ったりしてないなと。


自分の上の世代は団塊の世代で、

自分たちで自分たちの財産を作り

自分たちで財産を使いきろうとしている。


財産とはお金的なことの他に

知識や経験や知見や体験も含まれる。


これらは本当は自分たちで生み出して、

後ろに続く人たちで育てるような繋がりが、

社会にはあるべきなのかなと思う。


自分もあと数年で50代に入るので、

そんなことができる大人になりたい。


それでは。

良いものを表現するのに、

「あそこのあれ」っていうのは、

あんまりつまらないと思うようになった。

 

できれば「自分のこれ」って言えるものが

はたから見て良いなって思う。

 

他人の真似は否定はしないけど、

それはやっぱりいつかは底をつく。

 

で、そこがつきそうになると、

また次の真似を探し始める。

 

そうなるとオリジナリティや個性が

最初はあってもいつかは無くなります。

 

そうならない為にも、自分の中から

生み出せるようになるのはとても大事で

大人になるとそういった人と

お付き合いしていた方がとても生きがいを感じます。

 

今日からブログのタイトルを少し変えました。

 

心の本音を言える場所なのは、このブログを

始めた時から変わってないですが、

ここにしか書かないこともあります。

 

それを他のSNSにコピーすることはありますが、

それを書き始めたのはこのブログであるのは

大事にします。

 

それでは。

2023年を振り返った。とにかくコロナが落ち着き世の中が動き始めて良かった。今思うと年明けはThingsもしろいおみせも一つずつしか入ってなかったんだな。本当に今思うとジリ貧だった。それからそれぞれ埋まりだして。

あと新大塚のフロアリノベも今年だった。一年ずっと頑張っていたからもうかなり昔みたいな感覚。

それと今年は本当に日本のあちこちに行った。

溝口、福岡、大阪、福井、京都、下関、焼津、兵庫、函館。

千駄木という場所で街の不動産屋さんをやって、本当にこんなにあちこちに行くことになるなんて。
今月内12月は新幹線や飛行機や車で、本当に人生で一番移動距離が長かったと思う。

それに併せて新しい出会いも本当に増えた。会う方会う方、良い人ばかり。

少し書いたが来年から始まる事の為に、本当に良いご縁を頂きました。

そしてそして、今年の一番動きは、そこそこ大きいリノベーションも、解体から自社である程度できるようになったことでしょうか。

小さな解体、大工けら始まり、一つの大きなフルスケルトンとフルリノベーションまで経験しました。

これが何よりもなかなかできない事だと思います。

来年の抱負はまだ言えないこともあり、来年4月前後になりますが、準備ができましたらお知らせします。

とても大変な2023年でしたが、新しい2024年へ自分で思っても予想外の楽しい、嬉しい年末になりました。

来年も引き続き宜しくお願い致します。
良いお年をお迎えください。

その時一瞬の出会いが

その後の一生を支える時がある。


むしろそればかりだと

歳を取って思う。


お金持ちより人持ちになりなさい


千駄木で誰も知り合いがいなく

不動産のふの字も知らず

親の事業を継いで、


なぜか千駄木で易をやっているという方から

学んだ言葉です。


なので会社経営をして17年間

何か呼ばれればどこへも行き、


自分が必要と思えばどこまでも

行きました。


人のご縁はお金では買えない。

時間をかけて繋げるもの。


時間もお金では買えない。

そして勝手に落ちていく砂時計と一緒。


だから、人に必要とされていれば会い、

自分が頼みたいことも会いにいく。


それが人付き合いだと思ってます。


たった一瞬の出会いがそうやって

一生の財産になることを僕はやってきた。


だから目の前の一瞬、

そして今までの出会いの一つ一つを

忘れないように大切にできる人が


とても良いなって思います。


それでは。


今思うのは今生きる人たちが少しでも、未来へ自分を使うようになると良いのに、今目の前のことしか考えないのを経済合理と言うのかなと。

それって意味あるんですか?って良く言われるけど、自分は今の自分の為でなく、未来の他人の為に生きたいと思っている。

それは自分は在日韓国人として生まれ、自分が生まれた国に自分の籍が無かったのと、知的障害者の弟をお兄ちゃんだからとずっと手を取り見守ってきた自分の名前も育ち方も不自然だったから。

今では国に籍というものを日本という国に置き、弟も今は施設のお世話になっているが

今この歳になるまで無事生きていること自体が必死だったし、自分の人生を自分で作るしか生きる方法がなかった。

だから今を味わったり、楽しんだりすることが苦手で、ずっと他人にこと、未来のことを大事にしてきた。

それは今はとても良かったし、そんな人生は僕しかないと、この歳になってようやく味わえるようになったけど、

次はやっぱり未来の子供や、その子供が大きくなった未来の為に生きたい。

なんでここまで言えるかというと、なんだかんだで、名前が変えたり、生きる場所を変えたり、やっていることを変えたりしても、自分は何も変わんなかった。

今まで47年間、ぶつ切りの生き方をしてきたけど、結局は切ることができなくて、切っても切れないんだなって、47年かけて分かったから。

だから来年年男だけど、少しずつ自分のことは伝えようと思ってきた。

見られ方が変わる人がいたり、いなかったり、それはそれでなんか人の本性が見れて楽しかったりします。

来年からまた新しいことを始めるので、色々頭が過敏になってますが、その続きでこんな事を書いている。

だから、今も大事だけど、未来への種を植え、育てる世の中になればいいと思います。。

それでは。
10年前の今日。この時までは社員、スタッフ3人を雇っていた小さな普通の街の不動産屋さんだった。ただこの時には既に会社を支える定時案件が解約になって未来が見えなかった気がする。

それから全員手放し、ただ一人で再スタートしていまに至っている。

今では建物を再活用したり、用途を変えたり、複合店舗にしたりしてる。

来年も少し違う動きがあるが、人生と経験は続けてなんぼだと思う。
また、続けさせて頂けることにもありがたいと思う。

10年の間に本当に色々変わった。今お付き合いさせて頂いてる方々に本当に有難いと思う。

メリークリスマス。



何かを始める時に最初から結果を求めすぎるのは

あまり良くないと思う。

 

これをやったらこうなるとか

これをしたらこうなっていたいとか。

 

なぜかというとその通りにならない自分も

同時に考えてしまい結局は始められないから。

 

本当にこの状況の人は多いと思います。

 

あえて言うならカッコつけているというか。

 

 

カッコつける前に泥臭くまずはやってみる。

 

人生はそれの繰り返しだと今は思います。

 

それでは。

今自分の行動の原点は2011.3.11にある。

当時会社経営5年目くらい。
なんとなく社員も定着して、なんとなく会社も回って、なんとなく社長業も格好がついていた、

矢先にまさに足元を揺るがす事態になった。

それから不動産に関わるものとして、住まう家を無くした人を知る度に、街の不動産屋さんとして何かできないか、

当時動いていた通信インフラがTwitterしかない中、その唯一のSNS内だけで、家を無くした人を支援する仮住まいの輪が数日経たず出来上がり、

不動産のプロである街の不動産屋さんが何もできない中、悔しい気持ちを持っていた。

それから12年。自分なりに行動し、色々な方々と知り合った今、冷静に繋がりを見るとまさに当時仮住まいの輪を立ち上げた方々とご縁が出来ている。

人の縁や恩は返したり、送ったり。
自分にも何が出来て、何を渡せるか。

そんな気持ちを持てている自分を可愛がってあげたいと思う。